
福原力也が無敗の王者・木村章司(花形)を判定に下し、日本スーパー・バンタム級王座に就いたのは5年前の夏だ。世界挑戦も計画されていた木村を破ったことで、いち日本ランカーから地位も注目度も一気に浮上。KO率75%超という強打に加え、“イケメン”、常に体脂肪率3%に絞りこまれた彫刻のような肉体。いかにも陽の当たる場所が似合いそうな新王者の未来は明るく、影や悲運とは縁遠いように思われた。
だが、華やかに見えるその裏で、福原はいくつかの試練に見舞われていった。
福原は、父が経営する玩具会社の専務取締役でもあった。その会社は木村への挑戦が決まったころ、倒産の危機に瀕していた。社長や社員とともに金策や立て直しに奔走する日々。そんな時に巡ってきた日本タイトルへの挑戦権。夕方、福原は彼らに背を向けジムに向かった。
「責任者の立場にありながら、自分一人夢を追いかける罪悪感、俺は間違っているのではないかと思いながら…。あの頃、僕は“心を鬼にする”ということを覚えた気がします」
日に日に過酷さを増す練習と減量。帰路、疲労で電車の中で何度も気を失いかけながら、それでも仕事に戻った。だが努力の甲斐なく、会社は試合2カ月前に倒産…。
「これでベルトまで掴めなかったら、誰にも顔向けできない、と」
果たして、見事に戴冠。せめて今夜だけは素直に喜んでもいいかな…。胸中にあったそんな甘い祝勝の思いは、だが数時間後、消し飛ぶ。帰宅すると、家の前には連鎖倒産の憂き目に遭った元取引会社の関係者が待ちかまえていた。
「手前ェんところのせいで…」
こんな思いをして手にしたタイトル。何が何でも“国内に 敵なし”をアピールし、世界への足がかりにするつもりだった。だが2度目の防衛戦。初回早々、挑戦者・山中大輔(白井・具志堅)の左フックにまさかの初ダウンを奪われた福原が、巻き返しを図り、アッパーを突き上げた瞬間――その右腕と、顔面をカバーした山中の肘が激突した。脳天を突き破るような激痛に、「折れた、とすぐわかった」。
それでも左一本で戦い、勝つつもりだった。だがみるみる集中力は削がれ、動きは恐ろしいほど鈍くなっていく。再びダウンを奪われた福原がセコンドの説得に、ようやく棄権を受け入れたのは9ラウンドだった。
王座陥落。
「どうしてこんなことに…。自問自答の毎日ですよ。でも答えはどこにもなかった」
再起という目標だけが、生きる支えだった。9カ月後、再起。だが、悪夢は終わっていなかった。そのまた9カ月後、山中戦と同じ1ラウンド、同じ状況で、右腕橈骨(ルビ=とうこつ)は再び折れた。
「リング上で、ああ、今度こそ俺の選手生命は終わってしまった、そう思いました」
だが、福原はそれで終わりにしなかった。できなかった。
「なぜ俺だけがこんな目に、と何度も負の感情に流されそうになりました。でも快復するにつれ、自分がどこまでのボクサーなのか、もう一度だけ力を試してみたくなった」
今度は焦る気持ちを抑え、リハビリにも準備にも前回の倍の時間をかけた。
そして昨年5月、復帰。相手にはいきなり元日本1位の厳しい相手を選んだ。だが小林生人(角海老宝石)を2回、怒涛の連打でTKOに下すと、復帰2戦目には、日本1位・阪東ヒーロー(フォーラム・スポーツ)の強打を巧みな左で完封し、文句なしの判定勝ち。続く円谷篤史(アベ)戦では、初回に3度倒してKO勝ち。31歳。この一年、巧みなアウトボックスからのカウンターは冴え、ボクシングスタイルは円熟味を増している。
内山高志も言う。
「復帰してきてからの福原さんには、鬼気迫るオーラがあります」
今回の相手には世界ランカーを、と渡辺均会長に直訴した。フェルナンド・オティック(フィリピン)は今年1月、元WBAの世界王者ソムサク・シンチャチャワン(タイ)を4回KOに下している。
「今は“世界”しか見ていないです。年齢的なことも、腕のこともあるから、強くて地位もある相手と意味のある試合をしていきたい」
二度の骨折。ボクシングを奪われるかもしれない恐怖を味わった福原は、あれ以来、どこか腹をくくれた気がする、と言う。
「次負ければ引退。たぶん迷いなく。なぜってどの試合が最後になったとしても悔いが残らないよう、今の僕は練習も試合も力を出し尽くしてるから」
でも負けないですけど。そう微笑む福原の目には、凄みが宿っていた。
福原力也が無敗の王者・木村章司(花形)を判定に下し、日本スーパー・バンタム級王座に就いたのは5年前の夏だ。世界挑戦も計画されていた木村を破ったことで、いち日本ランカーから地位も注目度も一気に浮上。KO率75%超という強打に加え、“イケメン”、常に体脂肪率3%に絞りこまれた彫刻のような肉体。いかにも陽の当たる場所が似合いそうな新王者の未来は明るく、影や悲運とは縁遠いように思われた。
だが、華やかに見えるその裏で、福原はいくつかの試練に見舞われていった。
福原は、父が経営する玩具会社の専務取締役でもあった。その会社は木村への挑戦が決まったころ、倒産の危機に瀕していた。社長や社員とともに金策や立て直しに奔走する日々。そんな時に巡ってきた日本タイトルへの挑戦権。夕方、福原は彼らに背を向けジムに向かった。
「責任者の立場にありながら、自分一人夢を追いかける罪悪感、俺は間違っているのではないかと思いながら…。あの頃、僕は“心を鬼にする”ということを覚えた気がします」
日に日に過酷さを増す練習と減量。帰路、疲労で電車の中で何度も気を失いかけながら、それでも仕事に戻った。だが努力の甲斐なく、会社は試合2カ月前に倒産…。
「これでベルトまで掴めなかったら、誰にも顔向けできない、と」
果たして、見事に戴冠。せめて今夜だけは素直に喜んでもいいかな…。胸中にあったそんな甘い祝勝の思いは、だが数時間後、消し飛ぶ。帰宅すると、家の前には連鎖倒産の憂き目に遭った元取引会社の関係者が待ちかまえていた。
「手前ェんところのせいで…」
こんな思いをして手にしたタイトル。何が何でも“国内に 敵なし”をアピールし、世界への足がかりにするつもりだった。だが2度目の防衛戦。初回早々、挑戦者・山中大輔(白井・具志堅)の左フックにまさかの初ダウンを奪われた福原が、巻き返しを図り、アッパーを突き上げた瞬間――その右腕と、顔面をカバーした山中の肘が激突した。脳天を突き破るような激痛に、「折れた、とすぐわかった」。
それでも左一本で戦い、勝つつもりだった。だがみるみる集中力は削がれ、動きは恐ろしいほど鈍くなっていく。再びダウンを奪われた福原がセコンドの説得に、ようやく棄権を受け入れたのは9ラウンドだった。
王座陥落。
「どうしてこんなことに…。自問自答の毎日ですよ。でも答えはどこにもなかった」
再起という目標だけが、生きる支えだった。9カ月後、再起。だが、悪夢は終わっていなかった。そのまた9カ月後、山中戦と同じ1ラウンド、同じ状況で、右腕橈骨(ルビ=とうこつ)は再び折れた。
「リング上で、ああ、今度こそ俺の選手生命は終わってしまった、そう思いました」
だが、福原はそれで終わりにしなかった。できなかった。
「なぜ俺だけがこんな目に、と何度も負の感情に流されそうになりました。でも快復するにつれ、自分がどこまでのボクサーなのか、もう一度だけ力を試してみたくなった」
今度は焦る気持ちを抑え、リハビリにも準備にも前回の倍の時間をかけた。
そして昨年5月、復帰。相手にはいきなり元日本1位の厳しい相手を選んだ。だが小林生人(角海老宝石)を2回、怒涛の連打でTKOに下すと、復帰2戦目には、日本1位・阪東ヒーロー(フォーラム・スポーツ)の強打を巧みな左で完封し、文句なしの判定勝ち。続く円谷篤史(アベ)戦では、初回に3度倒してKO勝ち。31歳。この一年、巧みなアウトボックスからのカウンターは冴え、ボクシングスタイルは円熟味を増している。
内山高志も言う。
「復帰してきてからの福原さんには、鬼気迫るオーラがあります」
今回の相手には世界ランカーを、と渡辺均会長に直訴した。フェルナンド・オティック(フィリピン)は今年1月、元WBAの世界王者ソムサク・シンチャチャワン(タイ)を4回KOに下している。
「今は“世界”しか見ていないです。年齢的なことも、腕のこともあるから、強くて地位もある相手と意味のある試合をしていきたい」
二度の骨折。ボクシングを奪われるかもしれない恐怖を味わった福原は、あれ以来、どこか腹をくくれた気がする、と言う。
「次負ければ引退。たぶん迷いなく。なぜってどの試合が最後になったとしても悔いが残らないよう、今の僕は練習も試合も力を出し尽くしてるから」
でも負けないですけど。そう微笑む福原の目には、凄みが宿っていた。
(文/加茂佳子 写真/山口裕朗)